ぼっちフリーターカスメンタル

ぼっちのフリーターです

散髪

今日2020/06/14の日記

 

梅雨入りした。

雨は好きじゃない。

理由は単純、不便になるから。

買い物に行きにくくなるし

湿気がうざい。

 

雨特有の空気感が良い

というのも確かにわかるが

毎日だと有り難みがない。

 

今日は曇りだったから

外に出ることにした。

自粛期間中にのびにのびた

髪の毛を切りにQBハウスへ。

 

髪を切る前に

霧吹きで水(多分)をかけられるけど

あれは何?

 

俺の予想だとコンビニのざるそば

とかに入ってるほぐし水の役割を

担っていると見た。

絡まり合った髪をほぐし

スムーズな散髪を促す水。

 

俺は天パでより絡まってるからか

周りの人に比べて噴射回数が多い気がした。

 

髪は1ヶ月に1cm程のびるらしい。

短すぎになるのも嫌なので

全体2cmくらい切ってと頼んだ。

 

思ったより髪はのびていて

仕上がりの感想はもう少し短く。

理容師さんが鏡を持ってきて

鏡には自分の後頭部が映っている。

 

「このくらいでよろしいですか?」

 

よろしくないです。

もう少し短くしてください。

とは言えないので

 

「大丈夫です」

 

と言って散髪は終了。

少し心に残る部分はあるが

まあいいや

 

 

凡人

才能は確かに存在する。

才能才能言ってると

 

「いや努力してるから」

 

という反応をされたりするけど

別に努力してないなんて一言も言ってない。

才能があるね、という時は

言葉の裏にそれが開花するだけの

努力をしているね、という意味が隠れてる。

 

でも、頑張りを認めてほしい気持ちはわかる。

だが才能を褒められるのって嬉しくないのか?

正直少し贅沢な話だと思う。

持たざる者から見れば手放しに喜んで

欲しいけど。

 

才能才能言ってると

 
「そんなに嫉妬して醜いよ」

 

みたいに言われたりする。

俺にはその気持ちがよくわからない。

推察はできるけど俺自身が

本心でそんなこと思えない。

 

悔しいと思わないのか。

一つの才能があれば得意なことも増える。

例えば足がとても速いという才能  

を持っていたとする。

そしたら短距離はもちろん強いし

詳しくないから競技名は思い浮かばないけど

他にも平均以上に上手くできるものが

出てくるだろう。

 

才能があれば努力が楽しくなる。

とある絵描きは筆休めに好きな絵を描いていた。

絵を休むために絵を描く

そんな常人では到達し得ない次元に

達している。

 

持ってる人はどんどん

進んでいって

目に見えないほど遠くまでいって

富も名声も、

外から来るものだけじゃなく

精神に余裕ができたり

中身まで素晴らしいものになっていく。

 

彼らも努力や苦労をしたから

その域に達しているなんてとっくに

わかっている。

でも才能がなければ彼らと同じ努力をしても

その域にはたどり着けない。

彼ら以上に頑張ってもきっと無理だろう。

 

そんな圧倒的な違いを見せつけられて

嫉妬の一つも覚えないというのは

逆に諦めてしまっていないか。

 

 

まあ、実際そんなことまで考えてないと

思うけど

概念としての夏

「自分が体感する夏は嫌いだけど

概念としては夏が季節の中で一番好き」

というツイートを思いついた。

 

自分の日本語は怪しいことが多くて

「概念」の使い方ってこれであってるかな?

と不安になったので少し調べてみた。

 

そしたらすでに「概念としての夏」

という言い回しをツイッターでしてる人がいて

パクツイみたいになりそうだから

このツイートをするのはやめた。

 

気にしすぎ。

 

ということで概念としての夏

についてここで書いていきます。

 

 

大分暑くなってきて

外に出ればジリジリと日差しが皮膚を焼いて

額にじんわりと汗が浮かんでくる。

少しベタついた肌で居心地も悪い。

 

他にも虫が湧くし

洗濯の頻度もますし

使った食器を洗うのめんどくて

長時間放置するのも憚られる。

 

そんな感じで嫌なことが多い。

でも概念上の夏はそんな嫌なところさえも

それもまた風情、みたいな感じで

良い。

 

外から室内へ、

窓を突き抜けて耳に入る

セミの声(実際はまだ鳴き始めてない)で

アラームより先に起きる。

 

用事で外に出て

日に照らされて

熱されたアスファルト

熱気が足の先から

ジリジリと体を焼いて

汗が服を湿らせる。

 

帰宅しドアを開けた瞬間

流れてくる冷たい風が

汗で湿ってるのも相まって

急激に体表を冷やす。

 

それでも内側に溜まった熱は

簡単には冷めない。

そんな時は帰りにコンビニで買った

アイスを食べる。

 

ちょっと溶けてしまってるけど

待てないからすぐ食べる。

外と中から火照った体が

冷やされるその爽快感。

 

みたいな。

なんか当たり前のことでも

文字にしてみるとそれっぽさがある。

 

それと概念としての夏の醍醐味は

物悲しさというか喪失感とかだと思う。

 

最初は永遠に続くような錯覚に陥る

長い夏休み。

半分すぎたくらいからカレンダーを確認する

回数も増えていく。

残り2週間くらいになった。

そのタイミングで夏祭りがあって

行ってみるけどめちゃくちゃ人が多い

もんだから一歩引いたところから

祭りを眺める。

 

人の喧騒から少し離れたところで

腰を下ろし屋台で買ったラムネを開ける。

 

休んでいると花火が打ち上がる時間が来て

人混みの後ろで花火が上がる。

花火単体じゃなくて人混みも目のフレームに

入るとより祭に来てる実感が強まって

良さを感じる。

 

花火をみると満足して

家に帰って体を洗って

また明日も明後日も休みなことに

浮かれながら眠りにつく。

 

そして最終日、明日から学校...

いきたくねぇ...

と嘆きながら特に何もせず

ベッドでゴロゴロしながら

頭の中で夏休みの思い出を流す。

 

 

楽しかった時間ももう終わり

その感傷に浸る

 

 

 

 

書いてたらなんか

ノリノリで書いてて

恥ずかしくなってきた。

 

実際上に書いたのは

概念としての夏。

実際は自分が体験する夏は

特に何の出来事もなくつまらない。

 

暑くて面倒ごとが多いだけだから

早く冬になってください

 

 

 

焦燥感

先日、好きな配信者が24時間生配信をしていた。

沢山のゲストを呼んで、祭りのような賑いを

感じさせたその配信を楽しんで見ていた。

その配信の最後、彼らの2周年を記念して

作られた楽曲が流された。

 

彼らが2年間でやってきたこと、思い出

色んなものが歌詞に含まれ

過去を懐かしみ、過ぎ去ったことに

寂しさを覚えつつもノスタルジーを感じ

清々しい気持ちになった。

 

しかしその瞬間自分のことを考えてしまった。

最近、日々漠然とした焦りを感じている。

それは将来に対してのことなのかもしれない。

 

将来と言っても別に定職についているか

とか、健康に過ごせてるかとかいうことではなく、

過去を振り返った時に上に書いたような気持ちになれるかどうかということ。

 

小学生や中学生や高校生の頃を思い返して

みると、普通に楽しかった思い出や

辛かったこと、色々あって

それに浸りカタルシスを得ることができる。

 

しかし将来の自分はどうだろう。

今は将来の自分にとっての過去。

このままでは振り返ってみても

いい意味でも悪い意味でも何もなかった

というただただ虚しさを感じることに

なるのではないか、

そうならない為に何かしなければいけないのではないか、

と常に急かされてるような気がして

焦りを感じて気が休まらない

悩みというもの

誰しも悩むことがあって

話の都合上2択の悩みだとする。

例えば

「これ買いたいんだよね〜、

でも少し高いし...どうしよっかな〜」

みたいな。

 

こういう時、多分心の中では決まってる。

「買いたい」んだ。

でもお金のこととか買った後のこととか

色々考えてると踏ん切りがつかなくなってきて

そんな時に人に悩みを打ち明けるんだろう。

 

相手の考えを聞いているていだけど

実質これは同意を求めていて

買わない方がいいと言われると

しっくりこない。

 

全ての悩みがそうというわけじゃないけど

多くの悩みは別に相手の考えなんて

求めてないと思う。

同意を、肯定を求めている。

悩みって面倒くさいな...

 

 

カスメンタル エピソード

ティッシュが切れかけてたので

ドラッグストアに行った。

ティッシュだけ買うために外に出るのも

体力がもったいない気がして、

酒と食べ物をカゴに入れた。

 

レジに並ぶ。

自分の番が来て

店員さんがバーコードを読み取る。

俺は財布を開け、すぐにお金を出せる準備。

 

「Tポイントカードはお持ちでしょうか?」

 

そう聞かれたので財布から取り出し

店員に差し出す。

今までは店員に渡すシステムだったのだが

俺が知らないうちに客が自分で機械に

読み取ってもらう形式に変わっていて

こちらの方にお願いします。

と指し示された。

 

ゲーセンのムシキングみたいなスライドする

機械にカードを持った手を伸ばす。

微小な変化にさえ戸惑ってしまい

スライドする手がもたついたのか

上手く読み取ってくれなかった。

 

ここら辺で少し焦り始める。

もう一度お願いしますと言われたから

今度はもたつかないように

意識しながらのスライド。

また読み取ってくれない。

 

額に脂汗がじわりと浮かぶような感覚。

目視できるほどではない少量だが

全身から汗が出る。

 

二回ミスしたところで店員さんがしてくれた。

そのあとお金を渡すところで

焦っていてお釣りの計算ができなかったので

小銭はたくさん持ってたけど

5000円を出して会計は終わった。

 

なんでこんなことで焦ったり

恥ずかしく思うのか正直自分でもわからない。

昔はこんなことなかったはず。

大学入学後の失敗経験の連続で

確実に俺の自己肯定感は

目まぐるしく低下し、

コミュ障社会不適合度を加速させてしまったようだ...

 

自己肯定感の低下

誰にでも"思い知らされる"出来事というものが

あるのではないか?

 

中学生の頃、「太鼓の達人」というゲームに

ハマっていた。

最初は楽しい、ただその一心でプレイしていた。

ある程度上手くなっていくとスコアを気にするようになった。

他の客が来る前の朝早く、開店してすぐに

ゲーセンに通うようになった。

順番待ちをすることもないし、ギャラリーのうるささもない、いつのまにかそのゲーセンでは

一番上手くなっていた。

 

ある日2歳ほど年下に見える

今まで見かけなかった子を見つけた。

俺ほどではないが、

フォームが綺麗というか、何か違うものを感じた。

数ヶ月経つ頃には圧倒的に上手くなっていた。

別に俺は誰かと競うためにしていたわけじゃない。

俺が楽しいから、俺が俺の記録を樹立したいから。

そういうつもりだった。

その子が現れてつもりだっただけだということがわかった。

 

一年以上積み重ねて得た記録も

数ヶ月で塗り替えられるのを見ると

自分がしていたことはなんだったんだろうと

急に萎えて、やめた。

 

昔話が長くなったが

自分の努力の結果が、サッと

人に抜かれてしまうと

やる気も何もなくなるよね。

基本能力値が低い人間は

生きているうちでそんな

"思い知らされる"

ような出来事があまりにも多くて

自己肯定感を保つのもかなりの重労働だと

思う。きついね