ぼっちフリーターカスメンタル

ぼっちのフリーターです

概念としての夏

「自分が体感する夏は嫌いだけど

概念としては夏が季節の中で一番好き」

というツイートを思いついた。

 

自分の日本語は怪しいことが多くて

「概念」の使い方ってこれであってるかな?

と不安になったので少し調べてみた。

 

そしたらすでに「概念としての夏」

という言い回しをツイッターでしてる人がいて

パクツイみたいになりそうだから

このツイートをするのはやめた。

 

気にしすぎ。

 

ということで概念としての夏

についてここで書いていきます。

 

 

大分暑くなってきて

外に出ればジリジリと日差しが皮膚を焼いて

額にじんわりと汗が浮かんでくる。

少しベタついた肌で居心地も悪い。

 

他にも虫が湧くし

洗濯の頻度もますし

使った食器を洗うのめんどくて

長時間放置するのも憚られる。

 

そんな感じで嫌なことが多い。

でも概念上の夏はそんな嫌なところさえも

それもまた風情、みたいな感じで

良い。

 

外から室内へ、

窓を突き抜けて耳に入る

セミの声(実際はまだ鳴き始めてない)で

アラームより先に起きる。

 

用事で外に出て

日に照らされて

熱されたアスファルト

熱気が足の先から

ジリジリと体を焼いて

汗が服を湿らせる。

 

帰宅しドアを開けた瞬間

流れてくる冷たい風が

汗で湿ってるのも相まって

急激に体表を冷やす。

 

それでも内側に溜まった熱は

簡単には冷めない。

そんな時は帰りにコンビニで買った

アイスを食べる。

 

ちょっと溶けてしまってるけど

待てないからすぐ食べる。

外と中から火照った体が

冷やされるその爽快感。

 

みたいな。

なんか当たり前のことでも

文字にしてみるとそれっぽさがある。

 

それと概念としての夏の醍醐味は

物悲しさというか喪失感とかだと思う。

 

最初は永遠に続くような錯覚に陥る

長い夏休み。

半分すぎたくらいからカレンダーを確認する

回数も増えていく。

残り2週間くらいになった。

そのタイミングで夏祭りがあって

行ってみるけどめちゃくちゃ人が多い

もんだから一歩引いたところから

祭りを眺める。

 

人の喧騒から少し離れたところで

腰を下ろし屋台で買ったラムネを開ける。

 

休んでいると花火が打ち上がる時間が来て

人混みの後ろで花火が上がる。

花火単体じゃなくて人混みも目のフレームに

入るとより祭に来てる実感が強まって

良さを感じる。

 

花火をみると満足して

家に帰って体を洗って

また明日も明後日も休みなことに

浮かれながら眠りにつく。

 

そして最終日、明日から学校...

いきたくねぇ...

と嘆きながら特に何もせず

ベッドでゴロゴロしながら

頭の中で夏休みの思い出を流す。

 

 

楽しかった時間ももう終わり

その感傷に浸る

 

 

 

 

書いてたらなんか

ノリノリで書いてて

恥ずかしくなってきた。

 

実際上に書いたのは

概念としての夏。

実際は自分が体験する夏は

特に何の出来事もなくつまらない。

 

暑くて面倒ごとが多いだけだから

早く冬になってください