ぼっちフリーターカスメンタル

ぼっちのフリーターです

夢見中毒者

昔から何かに軽く影響を受けると

その度にその何かになれる夢を見た。

 

本屋で自分の目的の漫画を探す時に

沢山の漫画が目に入り、

「発行部数100万突破!」

の帯がついてるものもそこそこある。

 

「一冊500円で印税が10%としたら

発行部数100万で5000万か....夢があるな」

そう思い、絵の練習をしようとノートに

好きなキャラクターを模写する。

 

夢に向けた努力は心地よく達成感があり

2日目3日目と続いていく...が、

4日は続かない。面倒だと単純な理由で投げ出す。

 

それから時間が経ち、また火が燃え始める。

取り敢えず形から、新しいノートを買い

また1ページ目から始める。

一年も経てば最初の数ページだけ絵が書いてある無駄遣いされたノートが増えただけ。

 

中学高校くらいまではそれでもよかった。

何度途中で投げ出してもまたその次がある。

 

今はそうはいかない。

何にでも手を出す余裕はなくて数は打てない。

注ぐ努力は絞らないといけない。

一つ選べばその他を捨てることになる。

 

慎重にその一つを選んでいると

気づけば一つのものを始めるのも手遅れになる。

 

 

なんて話は本当に何か始めたくて

色々と頭を悩ませているフリで

実際のところは何もやりたくない。

 

夢を見るのは中毒性がある。

夢を見るのは一歩目、そこから行動に出れば

叶うかもしれない。

夢を見ることさえしなければ勿論何も叶うこともない。

 

夢を見るだけでほんの少しでも可能性を

感じることができる。毎日同じことの繰り返しの中、どんなに小さな可能性でもその希望で

少し楽になる。

 

でも何も始めないまま無理だと決めつけ始める。そうすると気分が一瞬上がった分、下がった時の反動が来る。

だからまた楽になる為に新しい夢を見始めて夢だけが増えていく。

 

一つに絞らないといけないと分かっている

ものがどんどん目移りしていく。

時間だけがなくなって焦燥感だけが募る。

 

何かを始める時に無駄になることを考えるが

何も始めず今を続けることはそんなに価値のあることなのか。

始めて何かを無駄にすることより無駄じゃないのか。

 

思考がとっ散らかって疲れてくる。

 

最悪な朝

バイト前はなるだけ時間を確保して

有意義な時間にしたい、とアラームは早めに

セット。

 

一度は目を覚ますもなかなか布団からは

出れず、もう一眠りを決め込もうと決めたところで玄関のチャイムが鳴った。

 

米が尽きていたので昨夜

米の出前を予約注文していて、

予定時刻よりも早く到着したらしく

飛び起きて財布を持ち玄関の扉を開けた。

 

開いた扉の隙間から冷えた空気が入り込み

室温が下がり、軽く目が覚めていく。

配達人が去ったことを確認し、後ろを向くと

そこには起きた反動でめくれた掛け布団。

 

たいした時間も経ってなく、

まだ体温の温もりが残ってるであろう

ベッドがあまりにも誘惑してくるので

飛び込んで寝てしまった。

 

それから二回目のアラームが鳴り

二度寝から起床。

アラームの感覚は狭く二度寝の時間は30分程度。

 

でもなかなか起きれない。

何かしたいけど何もしたくない。

暖かさと微睡で天井を見つめるだけで

心地良くて1時間以上は

ぼーっとしてしまった。

 

流石に起きなければと仕方なく這い出て

朝昼飯のことを考える。

作り置きのカレーがあるがもう飽きた。

米を炊くのも面倒。

カレーをレンチンするのもしんどい。

 

コンビニ飯に決定。

歩いてすぐのコンビニに行くと

やたら混んでてレジ前に列ができていた。

自分もその客の1人なのに

「こんなに集まってんじゃねーよ」

と内心イライラしてしまう。

 

買ったものの一つに炒飯のおにぎりがあった。

最近ちょくちょく買ってたから安心感で

手を伸ばした。

 

家に帰り、書いてある指示通り

矢印マークを掴み下にピリピリ引っ張ると

目の前に具のエビがあった。

パッケージで隠れて見えなかったエビがあった。

 

俺はエビが食べ物の中で一番嫌いだった。

いつも買ってた炒飯おにぎりには入ってなかった。

リューアルされたのか新商品だったのか、

パッケージには〜炒飯と書いてあるが

〜の部分は読んでない。

 

いつもの炒飯では無かったんだろう。

しかしエビなんて一言もパッケージには書いてない。

エビが入ってたらそれはエビ炒飯だろ。

エビチャーハンと商品名にしろよ、

とイライラして捨ててしまった。

 

勿体無いが本当に苦手なんだ.....

そんな最悪の朝。もうすぐバイト。

やってられませんわ

萎えた

コンビニ夜勤一日目の帰り

自販機で缶コーラを買って飲みながら歩いた。

 

勤務中一滴の水も飲まなかったからか

特別美味しかった。

というか久々の缶のコーラがうまかったのかも。

 

歩いてるうちに少し滲む汗と

乳酸が溜まったような疲労感のある足、

働くことは嫌だけどその達成感は

そんなに悪くない。

 

と思ったが本当にそうか?

この疲労感からくる達成感だって

日常になれば疲労感しか残らないんじゃないか。

 

楽しさ嬉しさは風化していつかは感じなくなるけど苦痛は慣れるだけで消えるものじゃないと思う。

 

例えば誰しもハマったゲームとかであれ

やり続ければ飽きてもう楽しくなくなって

やめることがある。

でも学校に毎日通うとか数年間も続けて

いることなのにずっと嫌だ、行きたくない

と思い続ける。みたいな。

 

ともかく負の感情は正の感情より

消費期限が長いから、

正の感情が先に期限が切れて

その後は負の感情だけを食べ続ける時が

くるんじゃないか。

 

そんなことを考えてると萎えてきた

現実では非現実を、非現実には現実を

初めて深夜アニメを見たのは中学生の時。

 

友人とカラオケに行った時、

その友人は「only my railgun」を歌っていた。

 

ちなみにカラオケの機種はDAM

有名なアニメはアニメ映像が使われがちで、

カラオケ制作とは言え侮ってはいけない。

 

DAMの作る映像は普通にyoutube

再生回数が多いmadといい勝負をするくらいの

クオリティだったりする。

 

それを見て

「可愛いな...かっこいいな...というか

映画じゃないのにこんな作画綺麗なのか...」

 

と思い、すぐにDVDを借りて

以降俺はアニメを見始めた。

 

始まりが超電磁砲ということもあって

現実ではありえない異能力系を好み、

その後は異世界系など、とにかく

非現実要素の強いものばかり求めていた。

 

それが今、好みが変わり現実に即したもの

を気にいることが多くなった。

 

と言っても所詮はアニメ、漫画。

フィクションであることに変わりはない。

そんなことないだろうというシーンは

沢山ある。

 

でも、フィクションなのに、非現実より

リアルを感じる瞬間がある。

 

例えば縁側で食べるスイカ

風鈴の音。ひらひらのついた扇風機が

首を振るようなそんな夏。

 

現実の夏なんて縁側はないし

イカは食べない時もあるし

風鈴は家になくて近所のある家

の音を盗み聞きするくらいで

上に書いたような夏なんてない。

 

でも、創作の世界では

多くの人が共通で持っている

「もの」に対するイメージを

組み合わせたり詰め込んだりして

 

現実にはほぼ有り得ない非現実に

現実以上のリアルさを与えたりする。

 

そういうのが好きで

非現実にも現実感を求めるようになった。

 

 

逆に現実世界。

とあるにハマった中学時代は

変な呪文を唱えながら手を前に出し、

炎でも出ないかとグーパーを繰り返した

ことがある。

 

本当に炎が出るなんて

もちろん思ってないが

そんなことがあったらいいな

みたいに思いながら何となくやってた。

 

今でもそこまでではないが

こんなロマンのない現実は

つまらないから空から

女の子でも降ってこないかと思うことはある。

 

現実には非現実を、非現実には現実を

求めてしまうのはなんか面白いなと思いました。

 

捻くれの天邪鬼なだけなのかもしれないけど

 

 

 

毎日日記(を書こうと思ったが断念)

今日は8月25日。

 

この日は即席ラーメン記念日らしく、

チキンラーメンが初めて発売されたとのこと。

 

また1931年のこの日、羽田空港が開港したらしい。

 

ちなみに毎月25日はプリンの日だということだ。

 

いきなりどうしたという話だけど、

毎日何かしらの記念日だったりするから

それにまつわる日記的なものをつければ

〇〇の日雑学博士になれるのでは?

と昔から思っていたので試しにやってみた。

 

でもチキンラーメンに関することも

空港もプリンに関してもそんなに書くこと

なんてなかった...

 

ということであまりにブログの更新を

してなかったから久々してみた。

 

大学をやめ、バイトに受かったりして

止まってた時間が少しずつ動き始めた、

そんな感覚がある。

 

その結果が良い方に転ぶのか悪い方向に転ぶのかは分からないけど、どちらにせよ

今までよりできごとがある日々が始まりそう

だから何かあれば更新します。

 

 

よくない遊び

昔幼なじみと、他の同級生のTwitterの垢を

見つけて勝手に覗く遊びをしたことがある。

ネットストーカー的な。

 

それをふと思い出して、

今同級生達は何をしてるんだろうと

今度は1人でその遊びをしてみることにした。

 

1人カースト上位の垢を見つければ

芋づる式にその知り合い、そのまた知り合い

とズルズルと色んな同級生の垢が出る。

 

ターゲットは中学時代の同級生。

さすがに昔すぎてもう動いてない

垢もたくさん。

 

でもその当時にされた発言や

当時の写真が出てきて

現代版タイムカプセルといった感じ。

 

未だに動いてる垢のbio欄には

〇〇中→〇〇高→〇〇大3年

みたいな自己紹介。

最後に見たその人は記憶の中では

中学生のままだけど

各々にその先の人生があることに

当たり前だけど不思議な感覚を覚える。

 

それにしてもみんな楽しそうだ。

俺は彼らのことを覚えていて

この悪趣味な遊びの中で

過去を思い出したりしてるけど

 

彼らは誰も俺のことは覚えてなくて

というか当時俺が一方的に知っていた

だけということも多そうだけど、

とにかく俺の記憶の中に彼らはいて

彼らの記憶の中には俺はいないというのは

別にいいけど少し虚しい。

 

最近は気持ちが沈んでるから

この遊びはするべきじゃない。

というか沈んでなくても

よくないか

本心

酒を買った。

バランタインファイネストを買った。

好きな配信者がバランタイン12年が

バニラのような香りが強くて甘く、且つ

値段も高くなく味とコスパのバランスがいいと

語っていたのでAmazonで調べたが

在庫なし。

スーパーの酒コーナーにはバランタインの中で1番安いファイネスト。

初心者向けで紹介されていたし

仕方ないからそれを買った。

 

飲んで酔った。

なので本心をただただ書く。

酔うとその人間の本質が出るというが

それが本当ならここに書くことが

俺の本心なんだろう。

 

人を構成するのはそういう本質、

それだけでなく理性も含まれているから

必ずしも酔い、判断能力が鈍った

人格がその人の全てとは思わないけど。

 

さっきフリーターになりたいと

ツイートをした。

俺は今までまともにバイトができた

ことがない。

だから

 

「なりたいって言っても

まともにバイトもできないんだから

無理でしょ。

普通に卒業しなよ」

 

と思う人が出てくるだろう。

 

でもそうだとしたら、

バイトができないとしたら

仕事もできないだろう。

 

卒業したところで仕事できないなら

結局どちらにしても意味がない。

仕事ができるならバイトもできるだろう。

 

仮にどちらもできるなら定職についた方が

いいと言われそうだが、そうじゃない。

 

楽しく生きたかった。

ありふれた生き方ではない。

一般的でない

そんな生き方。

それができないなら

もらえる金の量が少しばかり高かろうが

だからなんだ、という話。

 

したいことができず

増えていく貯金を見て

溜まった金でしたいことをできるころには

体が気持ちについていけなくなっている。

 

それなら別に余分な金なんて

いらないじゃないか。

 

社会に出たこともない

教養もない子供の戯言。

でも今の俺はそう思ってしまう。

 

そんな自由に生きられるのは

一握りの人間だろうが

その一握りになりたかった。

 

なれないのなら

その他はそこまで変わりがない。

そう思ってしまう。

 

変わらないのなら

少しでも楽な方がいい。

だから今の状況から逃げたい。

 

なんてことを考えた。

明日の朝起きて酔いが覚め、

この文章を見たら

理性が働いて

ばかばかしいと思うかも。

 

でも、この文章を書いている

その瞬間の自分にとって

これは本心だろう